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八ヶ岳/横岳
中山尾根
2008年4月26日〜27日
《Day1》4月26日 さっそく敗退・・・ この年の1月には石田さんに連れていってもらった八ヶ岳で冬期バリエーションも経験してたから、今度は自分達だけでバリエーションルートに行ってみようというペコマ&チッペの計画に乗った。 最初は小同心クラックの予定で残雪の八ヶ岳に入山したけど、アプローチが分からないっていうショボいオチで行者小屋のテン場に戻ってきた。 まぁ、ガスってて天候もあんまりよくなかったし… 《Day2》4月27日 予定変更! 翌朝目を覚ますと日は差していないものの南八ツの展望は期待できそうだ。 だったらアプローチの分かりやすい中山尾根に行こう!ってことになって、早速行動を開始した。 中山乗越から尾根に沿って樹林帯を抜け、下部岩壁の基部に達した。 このときは一人で行けるところまでは二人とはザイルを組まないって最初から決めてたんだけど、ちゃんとしたソロの方法を知ってた訳じゃない。 危なくなったらロープを出して何かしら確保を取れば何とかなるだろうくらいに考えてた。すぐ近くに二人もいるし・・・ しかし取付き早々に行き詰まって、残置ハーケンにスリングを掛けてセルフを取り、微妙な箇所をのっ越した。 そのスリングは自分で回収できず、ペコマに回収してもらった。 ペコマ&チッペもまだマルチピッチのシステムに慣れていないようで、支点の構築なんかに手間取っていた。 初っぱなの悪い箇所を抜けると、そのあとはホールドが豊富にありそうで、確保無しでも、つまりフリーソロでも行けそうに見えたから、二人を待たずに先に進むことにした。 下部岩壁の中間部を過ぎ、慣れないアイゼンと手袋での岩登りも少しずつコツを掴んできた。 辺りはガスってて二人の姿は見えないけど、まだ追いつく気配はない。 こっちは順調に高度を稼いでいたから、このくらいのグレードならむしろフリーソロの方が楽しめるんじゃないかと考え始めてた。 だけどそう甘くはなかった。下部岩壁の最上部で、ホールド・スタンスに乏しいマントルをしなければいけない箇所が出てきた。 岩に積もった雪を掻き分けて安定したホールドを探したけど見つからず、確保なしでその箇所をこなすのをかなりためらった。 行けそうにも思えるけど、失敗したらヤバいな・・・ だけど行けそうな気がする・・・ 甘いホールドを押さえ込み、必死で岩にしがみついてマントルを返した。 アドレナリン大放出のワンムーブだった。 下部岸壁を無事フリーソロで抜け、ペコマとチッペが上がってくるのを待ったけど一向に上がってこない。声は聞こえるけど全然見えない。 しばらくたってからやっとペコマが岩壁の最上部を巻いて灌木帯を詰めてきた。 結構な時間待ってたから全身冷え切ってしまってて、 「やっときたか〜」 と思った瞬間! ペコマが滑り落ちていった・・・ どうやらつかんだ木が腐ってて折れたらしい。すぐに止まったから良かったけど、あとで聞くところによると何と取付き直後もフォールしたらしい。 ちょっとお互い問題ありな気がするけど、何とか三人とも無事に下部岸壁を抜けた。 するとみるみる周囲のガスが晴れていって大同心・小同心が現れた! 主峰の赤岳はまだガスが完全に切れてないけど、雲の間から覗くその姿がまたカッコいいぜ! もうこれだけで三人のテンションはアゲアゲで、続くリッジをガンガン詰めていった。 ほどなく上部岩壁基部に着き、基部の雪田帯をトラババースし正規ラインを探した。 ペコマ&チッペはビレイ点を構築しなくちゃいけないから、支点が取れそうな個所を探して岩壁の右奥の方までトラバースしてたけど、 「俺にはそんなの関係ねーぜ!せいぜい紐遊びでもしてな!」 とさっそく最も弱点と思われる凹角を登りだした。 ライン取りが屈曲していて流れの悪くなったロープを重そうに引きずりながらゆっくりと登ってくるペコマを横目に、この壮大な景色をたっぷり写真に収め楽しみつつ、こちらもゆっくりと高度を伸ばしていった。 やっとピッチを切って残置ハーケンにセルフを取ったペコマ。 少し体重をかけるとそのハーケン、抜けたらしい・・・ しかもロープは全く流れなくなってしまってたからセカンドビレイも出来ないようだ。 おまけにお互いに死角となってた二人の声は聞こえていない様子で、仕方ないから二人の声が聞こえる位置にいる自分が、二人のやり取りの伝言役となって何とかチッペが上がってきた。 三人揃ったところでいよいよこれから最終ピッチだ! 最終パートはゴジラの背のような岩稜の脇にある雪田をトラバースし、小滝を一つ越えて、後は雪渓を稜線めがけて一直線に登っていく。 一歩一歩キックステップを確実に決めながら、傾斜のある雪渓を慎重に上がってく。 そしてそのまま稜線に飛び出してフィナーレだ! ペコマ&チッペも最終ピッチは安定したロープワークで上がってきた。 途中いろいろあったけど、初めて自分たちだけの力で一つのバリエーションルートを完登した喜びをおのおの噛みしめながら、沈みゆく太陽の光を浴びつつ下行路に着いた。 《エピローグ》 でも何でこのときソロで登ろうと思ったんだっけな? 最初は山を始めてから山野井さんのこととかを知るようになって、何となくソロに興味を持ってたんだと思う。 2006年の10月にペコマ、チッペを誘って紅葉の涸沢に行ってから、ほとんどの山行を二人と共にやってきた。 二人の山に対するモチベーションは8000m級で、二人の絆の固さはエルキャプの花崗岩並みだった。 縦走をやってるうちは三人で、ときに他のメンバーも加わって、初めて行く山々の景色にいちいち感動しつつ楽しくワイワイやってた。 2007年の夏休みに、一般登山道でも難易度の高いと言われる槍穂キレット縦走を終えて、さらに難しい登山=バリエーションに挑戦したくて秋からは本格的にクライミングに力を入れ始めた。 この時期ペコマは自分にとってほんとにいいライバルで、大学に設置した小さなクライミングウォールでお互いに課題を作りあったりして遊んでた。これがあったからこそアマチュアクライマーとしての今の自分があるんだろうな。 ランナウト(西国分寺のクライミングジム)にもせっせと通ってて、石田さんをはじめ、他のいろんなクライマーにも出会ってさらにクライミングの幅が広がっていった。 ボルダーやショートルートをやってるうちは三人でもよかったけど、2008年に入ってからマルチピッチに手を出すようになって、少なからずパートナーの問題が出てきた。 マルチのルートに行くときは大抵ペコマとチッペがペアを組んで、自分はその時たまたま一緒に行くことになった誰かとロープを結んだ。 常に同じパートナーとして、同じ方向性でいろんなルートに取り組める二人が正直羨ましかった。 そういった経緯が、ソロクライミングを始めるきっかけの一部となったのは確かだろう。 「パートナーがいなければソロでやればいいじゃん。」みたいなことを、ペコマかチッペのどちらか(あるいは二人ともに)冗談交じりに言われたような気もする。 そんな戯言をだんだん本気で考えるようになって、たまたまパートナーがいなかったこの山行で 「グレードもそんなに難しくないし、ダメだったら二人とザイル結ぶこともできるし、ちょっとソロで行ってみるか・・・」 的なノリでソロで行くことにしたんだと思う。 だけどこの山行は少なからずその後の方向性、つまり、もっとちゃんとソロに取り組んでみたいという思いに影響を与えた。 これがほんとに一人で行った山行ならまた意味合いが違ってたかもしれない。 横でロープワークや支点工作に手間取る二人の姿があったからこそ、ソロクライミングがより魅力的に思えた。 登攀中は何にも縛られることなく、純粋に岩と雪と自分だけのやり取り・・・ まさに“フリー”ソロだった。 でもソロとはいえ、そこに二人がいたからこそ登攀中も楽しいおしゃべりがあり、雪を抱いた八ヶ岳の雄大な景色に共感し、その中で岩にへばりついてるちっぽけな自分たちをこうやって写真に収めることができ、これから先もバカな思い出の一つとして酒の肴にできるわけだ。 これが自分のソロクライミングの、最初の一歩だった。 |